すずかけの木
- Shojin-Project

- 7月7日
- 読了時間: 2分
初夏の街路を歩いていると、
すずかけの木の幹に目がいく。
青々と茂った葉が日差しを遮ってくれるのはありがたいが、
それよりも、あのまだら模様が気になって、
つい足を止めてしまう。

古い樹皮が大きく剥がれて、
その下から青白い肌が現れている。
使い込んだ漆器の表面が擦れて、
下地の色がのぞいているのに少し似ている。
乾いた茶褐色と、
むき出しの白い地肌とが入り混じって、
一本の幹の上に時間の層が重なって見える。
あの模様は、もちろん木が好きで描いているわけではない。
幹が太くなるにつれて、
外側の古い皮が木の成長についていけなくなり、
自然に剥がれ落ちる。ただそれだけのことだ。
古くなったものを抱えていられないから、手放す。
木にしてみれば、成長に伴う当たり前の生理現象にすぎない。
けれど、この「ただ手放す」ということが、
人間にはなかなか難しい。
自分を守っている殻や、
慣れ親しんだ習慣を脱ぐのは心細い。
だから私たちは、もう合わなくなった古い皮を、
いつまでも後生大事に貼り付けておこうとする。
禅に「放下著(ほうげじゃく)」という言葉がある。
——捨ててしまえ、と。
地位も知識も、よりどころにしている一切を手放せ、
という苛烈な一喝である。
頭ではわかっていても、いざとなると指が強張って離せない。
それが人間の常だろう。
すずかけの木には、そんな未練がない。
いらなくなったものは惜しげもなく落とし、
新しい肌をさらしている。
説法するでもなく、力むでもなく、ただ太くなるために古い皮を脱ぐ。
放下著を体現しながら、
本人はそんな言葉を知りもしない。
私たちはつい、自分を良く見せようと余計な鎧をまといたがる。
しかし、すずかけの幹を見上げるたびに思うのだ。
——余計なものを潔く脱ぎ捨てた、あの剥き出しの姿こそが、
一番面白い模様を描いている、と。




コメント