春と私
- Shojin-Project

- 3月1日
- 読了時間: 2分
小学生の頃、一番好きな季節は春だった。
空の青色は柔らかくにじみ、
草木もみずみずしい若葉色。
桜に菜の花、チューリップにネモフィラ……
パステルカラーのふんわりと明るい色味は
春の心象に欠かせない。
それから何といっても過ごしやすい気候
なのがいい。
寒さが苦手な私にとって、春の陽気の
訪れは、深い安らぎをもたらす。
しかし今や、私にとって
春は花粉症の代名詞である。
確か中学三年生の頃に発症したのだった。
それ以来、
春のイメージは一変してしまった。
天気予報で「今日はよく晴れるでしょう」
と聞くと、反射的に身構える。
くしゃみと鼻水はひどいし、頭はぼんやりする。
特に目のかゆみは耐えられない。
周囲が「綺麗だ」と見渡す風景を、
私は半ば恨めしく見ている。
春は祝福の季節だという世間のイメージと
自分の身体が感じている過酷さとの間には、
大きな隔たりがある。
思うに春の情景を眺めるとき、
私たちはそれを自身の外側に置いている。
単なる鑑賞の対象として。
いわば「他者としての自然」というわけだ。
ところが花粉症になると、
自然は距離を保ってくれない。
目に見えない粒子が入り込み、
体の内側から反応を引き起こす。
空気清浄機を動かし、薬を飲み、
掃除機を動かし、マスクをつける。
そこまでしても完全には逃れられない。
花粉症が突きつけてくるのは、
自然は完全には
外部化できないという事実である。
自他の境界など、
私たちが勝手にひいたものにすぎない
のだろう。
なにも花粉と身体の関係に限ったことではない。
私を取り巻く環境のすべて――
例えば、日々接する社会の仕組みや、
誰かが発した言葉といった
一切もまた、外部化できないものだ。
それらは私の内側へ入り込み、
私の思考や感情を形作る。
皮肉にも、この不快な症状は、
自分がこの世界とどれほど深く、
密接に絡まり合っているかを
体感させてくれたのだった。
俊太





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