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お茶をするとき、食事をするとき

更新日:2023年6月23日

今回紹介する禅語は「喫茶喫飯(きっさきっぱん)」です!



皆さんは喫茶店などに行かれますか?

私は空いた時間ができると、よく近所のお気に入りの喫茶店に行きます。そのお店はチョコケーキやショートケーキ、モンブランなど、魅力的なケーキがたくさんあり、どれも絶品なのでコーヒーとセットで注文するのが私の中のお決まりです。


しかし、ケーキが美味しいからこそ悩ましいこともあります。

自分の注文が終わっているのに、隣の席の人が食べているケーキを見ると

「あっちにすれば良かったかなぁ・・・」

とついつい思ってしまいます。


今回ご紹介する禅語「喫茶喫飯」はそんな私に大切な気づきを与えてくださった教えです。


この教えは大本山總持寺(そうじじ)をお開きになった瑩山禅師(けいざんぜんじ)と、お師匠様である義介(ぎかい)禅師のやりとりの中で示されたお言葉です。

ある日、瑩山禅師は義介禅師に次のように言いました。

「仏法がわかりました」


すると義介禅師は、

「ではどのようにわかったのか言ってみなさい」

と体得したところを表すように言います。


「黒漆(こくしつ)の崑崙(こんろん)、夜裏(やり)に走る」

「黒漆の崑崙」とは、真っ黒な玉のことを言います。

黒い玉は生き生きと転がっている。

しかし、夜裏(真っ暗な夜)の中を転がっていては、闇と一体になってしまい、どこに玉があるのか見分けがつきません。


瑩山禅師はご自身の仏道修行の境地を、闇に融けて見分けがつかない黒い玉のように、日常生活の全てが修行であり、修行の中に投げ込んだ「自分」が跡を留めていない、と答えられたのです。


ですが、義介禅師はこの言葉ではまだ認められず

「別の言葉でさらに言ってみなさい」

とさらに瑩山禅師に迫ります。


そこで瑩山禅師は、

「茶(さ)に逢(お)うては茶を喫(きっ)し、飯(はん)に逢うては飯を喫す」

お茶をいただいたならお茶を飲むことに専念し、ご飯をいただいたならご飯を食べることに専念します、とお答えになります。


つまり、日常生活を過ごす中で、その時その時の行いに心を尽くして丁寧に取り組むこと、と瑩山禅師は述べられたのです。


瑩山禅師の言葉を聞いた義介禅師はその境地を認め、悟りの証明を与えられました。

お茶を飲む時はただお茶を飲むことに、食事をする時はただ食事をすることに向き合う。そして、お茶を飲むこと・食事をすることだけでなく、「今ここ」に集中して日常生活の一つ一つの行いを丁寧に実践することが大切だと、瑩山禅師は仰っているのです。


お茶をしているときに「お茶よりもコーヒーがいいなぁ」と思ったり、次の仕事のことを考えたり、お茶よりもテレビやスマホにのめり込んでしまったり。

このようになってしまえば、本来するべき「お茶を飲むこと」をおろそかにしていることになります。


目の前のお茶に集中して丁寧に味わうことで、そのお茶本来の味を感じることができます。またお茶を淹れて下さった方、お茶を生産して下さった方への感謝の念も生まれるのではないでしょうか。


私は喫茶喫飯の教えにふれて、そのときするべきことをおろそかにせず、丁寧に行じていくことの大切さに気付かされました。


糸井俊人


出典:『諸嶽開山二祖禅師行録(しょがくかいさんにそぜんじぎょうろく)』



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