どっちも正解
- Shojin-Project

- 11月8日
- 読了時間: 4分
11月ともなると、風はすっかり冬の顔である。
こうも寒いと、どうにも億劫でならず、
せめて体を温めようと部屋の大掃除を始めた。
すると、押し入れの奥からなんとも懐かしいシロモノが出てきたのである。

小学校六年生の図工の時間に作った、木製のペン立てだ。
彫刻刀で指まで削りそうな勢いでガリガリと彫り、
絵の具でべたべたと色を塗り、
ニスでテカテカに仕上げた一品である。
当時の私は宇宙に夢中で、
ペン立てには土星や地球、月が拙いタッチで描かれている。
これを傑作だと信じていたのだから、
子どもの自信というのは大したものである。
このペン立てのすごいところは、蓋にオルゴールが仕込める点にあった。
図工の時間。ペン立てキットの注文リストには様々な曲が並んでいたが、
私は当時大流行していた「マル・マル・モリ・モリ!」を選んだ。
本当は他に好きな曲があったのだが、
私には小学生ながらの浅はかな計算があったのだ。
休み時間、友人のケンタくん(仮名)に
「オルゴールの曲、何にした?」と聞かれ、私は得意げに答えた。
「マルモリにしたよ。大人になったとき、これを聴けば
『ああ、小六の頃はこれが流行ってたんだな』
って一発でわかるじゃないか。未来の自分へのタイムカプセルなんだ」
我ながら素晴らしい着眼点だと悦に入っていると、
ケンタくんは「ふん」と鼻を鳴らした。
「ミーハーだね。流行ってたかなんて、後から調べればわかるじゃん」。
カチンときた私が
「じゃあ君は何にしたんだよ」と聞くと、
彼は澄ました顔で言った。
「俺も『マル・マル・モリ・モリ!』だよ。
だって、俺は今この曲が一番好きなんだ。
未来の俺が、小学生の俺が何を一番好きだったかなんて、
本人にしかわからない貴重な情報だろ?」
ぐうの音も出なかった。
同じ曲を選んだのに、動機の純粋さで完敗である。
未来の指標がどうとか、小賢しい理屈をこねた自分が急に恥ずかしくなり、
私はもう何も言えなくなってしまった。
その恥ずかしさを隠すように、
私はぷいとそっぽを向き、
それからというもの、
ケンタくんと口をきかなくなったのである。
こうして、二人の間にはなんとも気まずい空気が流れてしまったのだ。
しかし、その小さな氷壁が溶けるのは案外あっけないものであった。
オルゴールが教室に届いた日、
あちこちの席から「マル・マル・モリ・モリ!」が聞こえてきたのだ。
ふと顔を上げるとケンタくんと目が合い、
彼は照れくさそうに「やっぱ、いい曲だよな」と笑った。
私も「うん」と頷き、
くだらないわだかまりはメロディと共に消えていった。
そんなことを思い出しながら、
私はペン立てのネジを巻く。
少し調子の外れた、けれど間違いなくあのメロディが流れ出す。
ケンタくんの動機の純粋さには
今も敵わないなと苦笑するが、
不思議なものである。
私のひねくれた理屈は、
皮肉にも「ああ、小学六年の頃はこれが流行ってたんだな」という、
まさに狙い通りの感傷に私を浸らせてくれているのだ。
ケンタくんの純粋さが
「あの瞬間の自分」を未来に送ったのだとすれば、
私の理屈は「あの時代の空気」を
未来に送ろうとしていたのかもしれない。
そう考えると、どちらの動機も等しく愛おしいのである。
今思えば些細な意地の張り合いだが、
当時の私たちにとって
親友とのいさかいは
世界の終わりにも等しい一大事であった。
このささやかな対立と和解の記憶は、
ある言葉の意味を教えてくれた。
「たとい難値難遇の事有るとも、必ず和合和睦の思いを生ずべし」
たとえ困難なことにぶつかっても、
必ず和やかに睦み合う心を起こしなさい、
という意味だ。
どんな理屈をこねようと、
私たちは「同じ曲が好き」という一点で繋がっていた。
互いの正しさをぶつけ合うのもいいが、
最後は「まあ、どっちもいいじゃないか」
と笑い合える関係こそが尊いのだ。
さて、感傷に浸るのはこのくらいにして、掃除の続きをしなくては。ああ、寒い、寒い。







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