永遠の一瞬
- Shojin-Project 
- 9月30日
- 読了時間: 3分
先日、東京都内で行われた模型のイベントに参加した。
首都圏に住んでいないと
東京で行われるイベントに行くことは難しい。
地方出身の私は「今こそ参加するときだ」
と思い切って参加してみた。
結果としては、イベントはとても楽しくて
充実した時間を過ごすことができた。
「参加してみて良かった。今日はいい日だったな。」と思えた。
しかし、ふと考える。
もっと「東京に居たらやりたいこと」は無かっただろうか?
お盆に帰省した時は
「今度東京に戻ったら、アレをしたい、コレをしたい。」
と色々と考えていたはず。
けれども、そのほとんどは実現されていない。
もっと早く思い出して行動に移していれば、
より充実した日々になっていたかもしれないのに。
思い返せば、大学時代もそうだった。
東京都内の大学に入学した時、
「4年間も東京で生活できるのだから、色んな経験をしたい」と思った。
でも、そのことを忘れて日々を浪費した。
「明日でいいか。」「また今度でいいや。」
そう考えたことは数限りない。
気が付けば、いつの間にか大学生活は終わっていた。
過去の、後悔の記憶がよみがえる。
もう、日々を無駄に過ごしたくない。
だからなおさら、この日々をいいものにしなければならないのに……
「いい日」とは何だろうか。
自分の思い通りに過ごして、
やりたいことをやれた日が「いい日」なのだろうか。
ツイてないことがあった日は「悪い日」なのだろうか。
大学4年間全ては。
今の生活は。
本を読んでいると、たまに知識同士の結合反応が起きる。
それは、点と点が線で結ばれるように。
引き出しの中の無作為のブロック同士が、うまくかみ合うように。
そういう時、
「あの時の知識はこのためだったのか」とか、
「あれは無駄ではなかったんだ」と思う。
過去の、無意味とも思える行動が
肯定される瞬間がある。
案外、日常もそんなものだと思う。
日々を「いい日」にするのも「悪い日」にするのも、
その時々の気持ち次第だ。
悪いことがあっても「いい経験ができた」
と思えれば、「いい日」になりえる。
過去の出来事も、未来の出来事も、
自分の気持ち一つで
いくらでも変えることができるはずだ。
むしろ、もっと大事にしなければいけないことがある。
そんな良いことも悪いことも、
1回きりの2度とない日々の中の
出来事であるということだ。
昨日と同じ日は来ない。
今日と同じ太陽が明日の朝、昇ることはない。
一瞬一瞬の出来事が、
実は永遠の事象なのかもしれない。
そういえば仏教には
「日日是好日」という言葉があった。
あの言葉が指していたのは、
そういうことなのではなかろうか。
毎日がいい日だ、
という考え方ではない。
毎日が、かけがえのない日々なのだ。
そう思えれば、
この一分一秒も無駄にするのは勿体ない。
大切に、真剣に「日々」を生きることで、
「好日」となるのかもしれない。
忘れていた日々の大切さを、思い出した。
名前 保坂康耀








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