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喫茶喫飯

更新日:2018年6月1日

こうして坐禅堂の中でいただくお茶はいかがですか?

とても新鮮ですよね。私も修行道場以来でとても新鮮です。

修行道場では坐禅堂で食事をとりますし、こうしてお茶をいただく機会も有ります。この駒沢坐禅教室で私たちが坐禅作法の指導をする際、この浄緣は足やお尻を付けないと普段お伝えしていますが、まさにこのようにお茶菓子や食器を置いて、食事をとったりお茶を飲んだりします。だからなるべく触れないようにしているわけです。

私が修行道場にいた頃、こうして坐禅堂でいただく食事やお茶菓子というのは本当に美味しく、味わい深く感じられました。

その理由の1つに、坐禅堂で、坐禅を組んで、いただくことが挙げられると思います。

姿勢を調えて足を組み、呼吸を調える。そして食事やお茶をいただく。それ以外のことは何もありません。この「ただ、いただく」ということが、実はとても大切な事なのではないでしょうか。

曹洞宗の教えを全国に広められ、大本山總持寺をお開きになられた瑩山禅師という方がおられます。この瑩山禅師様の言葉に次のような言葉があります。


「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」


瑩山禅師様が自分のお師匠さまに、自分の仏道の境地を具体的に示す際におっしゃった言葉です。

「茶」というのはお茶。「飯」というのはご飯のことです。お茶を飲むときはお茶を飲み、ご飯を食べるときはご飯を食べる。当たり前のことのように思えますが、忙しい日常生活を送る私たちは、実はこれがなかなかできません。テレビを見ながら、携帯電話を確認しながら、仕事のことを考えながら…。このように「ながら」でいただく食事やお茶では、その本来の味わいに気づくことは難しいのではないでしょうか。

食事の時だけではありません。仕事をしている時でも、人と話している時でも、

過去に囚われたり、先のことに思い悩んだりする事なく、目の前の事をただひたすらに行ずる。この姿勢こそ、私たちが目指すべき心の在りようなのです。

仏教の教えは特別な手段や非日常の中にあるのではない、そして食事だけに止まらず、日常の1コマ1コマに打ち込む事の大切さを説いた言葉です。

本日は半日参禅会ということで普段と趣向を変えまして、坐禅堂でお茶菓子を召し上がっていただきました。その中で瑩山禅師様の言葉をご紹介させていただきました。




本田真大

(2018/5/26の駒沢坐禅教室より)

 
 
 

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