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撮れなかった一枚



見知らぬ土地の空気に触れることは、

時に日常で凝り固まった頭を

柔らかく解きほぐしてくれます。


その日は、那覇の「波の上ビーチ」で、

人々の賑わいから少し離れた浜辺を

歩いていました。



足元に目をやると、

岩場のくぼみに

潮が引く際に取り残されたのであろう、

小さな潮だまりができていました。



その水面には、雲一つない空が

鏡のように映り込んでいました。


その透き通るような水面は

沖縄の海の綺麗さを

凝縮させたような世界でした。



すると、岩の陰に微かに動く

小さな何かがいました。


目を凝らすと、

数匹の小魚が身を寄せ合っています。


体長は私の小指にも満たない大きさ。


彼らにとってこの潮だまりは、

世界のすべてに等しいのかもしれません。


大海の荒波とはおかまいなしに

ただこの束の間の静寂のなかで

懸命にひれを動かす姿に、

私は深く心を動かされました。



「この一瞬をどうにか形に残しておきたい」



そう思い、ポケットから

スマートフォンを取り出しました。


しかし、私がレンズを向けようと

少しでも身を乗り出すと、

その気配を敏感に察してか、

魚たちはさっと岩陰の奥深くへと

姿を消してしまいました。


息をひそめ、気配を消そうと心がけても、

私の「撮ろう」という意識そのものが、

彼らに見透かされているようでした。


何度試みても、画面には

主役のいない静かな水面が映るばかり。



その時、はっとしました。



私が魚を「撮ってやろう」としている。



自分の都合で、

この小さな世界を切り取り、

所有しようとしている。


この「私が」「〜してやろう」という

一方的な働きかけこそが、

彼らとの間に見えない境界を

作り上げていたのではないのだろうか。



思い通りにしようという意識を捨てれば、

境界は消えるのかもしれない。



私は、そっとスマートフォンを

ポケットにしまい、

撮ることをやめました。


目の前にある小さな世界を、

ただただ眺める。


そして、目の前の小さな潮だまりと、

静かに一つになるように時間を過ごす。




しばらくすると、

岩陰からあの小さな魚たちが、

一匹、また一匹と姿を現してきました。


もはや私の存在を意識していない様子。


彼らは何かを目指すでもなく、

ただ、あるがままに、

その小さな世界を生きている。


その姿は、目的や結果に囚われることなく、

今この一瞬をただただ生きることの尊さを、

静かに示しているかのようでした。



結局、彼らを写した写真を

撮ることはありませんでした。


しかし私の心には、

どんな鮮明な写真よりも深く、

美しい世界が焼き付いている。


「私」という境界を捨て、

目の前のことにただ向き合うとき、

世界は最も豊かな姿を

現してくれるはずです。


この小さな潮だまりが、

静かに教えてくれたのでした。



弘史

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