ハル君の疑問
- Shojin-Project
- 2022年10月7日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年6月23日
お彼岸の法要の日のこと。お寺はたくさんの参詣者であふれています。
四歳になったばかりの甥っ子ハル君がこのように尋ねてきました。
「どうして皆お寺に来るの?どうしてお経をあげるの?」
咄嗟に「今日はお彼岸の法要の日だからだよ」と答えました。
しかしハル君が求めている答えはこれではない、この子は供養の本質を問うているんだ、と思いすぐに次の答えを頭の中で探します。

どうして供養をするのか?
私が答えあぐねているとすぐ近くにいた私の師匠はこのように答えました。
「亡くなった人とお話するためだよ」
これを聞いたとき、私はなるほどと納得したと同時に
自分にとって供養とは何か改めて考えるきっかけとなりました。
2017年に公開されたディズニー/ピクサーの『リメンバー・ミー』という映画があります。ミュージシャンを夢見る少年と家族の絆を描く物語です。
本作では生者の国で一度目の肉体的な死、そして死者の国では二度目の死が訪れます。死者の国の人が自分の存在を忘れ去られ、誰一人として自分の存在を思い出してくれなくなった時に、二度目の死を迎え消えてしまうシーンがとても悲しく、印象に残っています。
この映画は、ある側面では「どうして供養するのか」という問いを考える上で参考になる内容ではないかと感じます。亡き人を思い出し家族や大切な人と語り合う時間が、故人の供養になることもあるでしょう。
私の祖父母は、私が産まれたときにはすでに亡くなっていました。しかし自分が直接会ったことのないご先祖様でも、当時を知っている方や父に昔話を聞かされ、思いを巡らせることが出来ます。真夏でもストーブに火を焚いて羽織を焦がしたことがあるんだよ、というエピソードを聞くと「(北国とはいえ)おばあちゃんは寒がりだったのだろう」などと想像しながらお仏壇に手を合わせます。
「おじいちゃんおばあちゃん、そのまたお父さんもお母さんも、そのまたお父さんもお母さんも、皆さんごきげんよう」という風に。
自分のご先祖様や亡くなった人への供養があってこそ、生を考えるきっかけとなり、自分たちが今生かされていることに気が付きます。
今回、ハル君の小さな疑問は「亡くなった人とお話するため」という四歳の子でも分かる表現に落ち着きましたが、この疑問については正解も不正解も無いと考えます。それぞれの環境や年齢によって答えは十人十色です。
自分一人で生きているのではない、供養を通して今自分は生かされているのだ、ということに気が付き、生死を見つめ前を向いて一歩一歩進んでいくことが大切なのではないかと思います。
どうして人は生きているの?
どうして町はできたの?
どうして人間の世界に動物がいるの?
ハル君の疑問は尽きません。
軽部真生
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