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バラと掃除と

月日の移り変わりは早いもので、気がつけばもう12月も半ばです。あわただしく過ぎ去る日々の中では、時折ゆっくりと季節を感じたくなります。

 

11月の初旬は、秋バラを見に行ってきました。訪問させていただいたのは、東京都北区にある旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)です。

 

 

一見するとオーソドックスな洋風の邸宅とバラ庭園にみえるのではないでしょうか。

 

……意外なことに、この洋館の2階には和室があるのです(残念ながら館内の写真撮影は出来ませんでしたので、ご興味がありましたら、折を見てぜひご訪問ください)。バラ庭園の他にも、和風庭園が併設されているなど、旧古河庭園は和洋が同居した場所、と表現するのがぴったりでした。

 

 

さて、今回の訪問の目的は「洋」の部分、具体的には秋バラです。

 

どうやら前日の夜中に雨が降ったらしく、当日はあいにくの曇り空でした。

実のところ、この天候だと花を観賞するのに適していないのではないか、と道中では不安を抱えていましたが、杞憂(きゆう)だったというべきでしょう。

雨上がりの湿(しめ)っぽさが肌にまとわりつくのを感じつつ、視界に映る重厚な洋館とバラそのものはあくまで華やか。それどころか散らした程度の水滴が、微かな陽光を宿してその華やかさを引き立てるようでした。

 

 

曇りは曇りで風情があるよね、とわかったような顔をしながら散策している中、ふと目に留まった光景がありました。

スタッフの方でしょうか、風雨にさらされて散ってしまった花びらを一生懸命に片づけているのでした。

私はその様子をみながら、修行道場にいた頃の自分自身と重ね合わせていました。

 

 

 

禅では日常生活の全てを修行であると説きますが、掃除は特に、現代の道場で厳しく指導される内容の一つです。私がいた道場では、水と雑巾のみを使って、鏡と見紛うばかりに磨き上げられた廊下が、参拝者に評判でした。

 

 

 

「でもね」

 

ある時、道場で指導役にあたっていたご老僧がこのようにおっしゃったのを覚えています。

 

「本当に価値があるのは綺麗な廊下じゃないんだよ。掃除をするという行為そのものが素晴らしいんだ…禅的にはね。拝観の方々にも、そっちを見せたいくらいだね」

 

 

我々は現代的生活を享受しながら、その背後で費やされている労力をしばしば忘れがちであるように思います。スタッフの方を見ながら、屋敷や庭園を美しく保つために、人の手がどれだけ尽くされているのか、しばし想いを馳せました。

 

…ちなみに仏教では、掃除には様々な利益があると説きます。その中には高慢さを離れる、自分のみならず他人の心の垢をも取り除く、等があります。

 

帰路、なんとなく清々しい心地だったのは、花びらと一緒に、私の心の垢も拭い去ってもらったという事なのでしょう。

 

久峩俊太

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