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中国に禅の教えを伝えた僧侶 菩提達磨大師

更新日:2023年6月23日

「だるま」と聞いて皆さんは何を思い浮かべますか?


おそらく、多くの方が縁起物で有名な赤くて丸い置物を想像するのではないでしょうか?

実は縁起物のだるまには、モデルとなったお坊さんがいるのです!


(筆者の地元・高崎駅西口の縁起だるま)


今回紹介する禅僧はだるまのモデルになった「菩提達磨大師(ぼだいだるまだいし)」です。

達磨大師は禅の世界ではとても大切な存在です。

何故なら、達磨大師は中国に禅の教えをはじめて伝えた方だからです。


達磨大師は約1500年前、インドから中国に渡りました。

インドから達磨大師が訪れたことを聞いた当時の皇帝・梁(りょう)の武帝(ぶてい)は、自身のもとへ招き入れて、次のようなことを聞きました。

「私は今まで、数え切れないほどの寺院を建てたり、写経をさせたり、僧侶の支援を行なってきたが、これにはどれぐらい功徳があるか?」


インドから来た高僧によって、自分自身の行いを認めて欲しかった、武帝の問いかけにはそのような意図があったのでしょう。


それを見抜いていた達磨大師は

「無功徳です」

と答えました。


「認められたい・褒められたい」と思って行なったことは、自分の欲望を満たすだけにすぎない。それ故に功徳は無いと達磨大師は答えたのです。


望む答えを得られなかった武帝は

「では仏教で一番大切な教えとは一体どのようなものか?」

と重ねて聞きます。


すると達磨大師は

「廓然無聖(かくねんむしょう)」

と答えました。


「廓然」とは、からりと晴れた空のように、何ものにも捉われないことです。

「聖なるもの・凡なるもの」といった比較は人間の価値判断によるものであり、そうした分別を超えたところに真実は見えてくるのだ、と達磨大師は言ったのです。


なおも腑に落ちない武帝はこう尋ねます。

「一体、私の目の前にいるあなたは何者なのか?」


それに対する達磨大師の返答は

「さあ、わかりません<不識(ふしき)>」

でした。


私たちは「善悪」「優れている・劣っている」といったように、何かと区別・対立させて物事を考えてしまいがちです。

しかし、どちらかに偏った見方をしては物事の本質が見えなくなります。ありのままの事実をみるためには、こだわりから離れることが必要です。

武帝を「知る・知らない」というこだわりから離れさせるために、達磨大師は「不識」と答えたのです。


さて、上記以外の達磨大師の生涯も、仏教の教えや逸話として現在まで伝わっています。しかし、その多くは歴史的根拠が無い、真実ではないとも言われています。

では、真実ではなかったとして、全く意味のないものとなるのでしょうか?

私はそのようには考えません。


達磨大師がはじめて中国で禅の教えを伝えたこと、そして教えを受け継いだ弟子たちによって脈々と受け継がれ、今私たちが禅の教えに触れていることは紛れも無い事実だからです。


糸井俊人


合掌


参考文献:丸山劫外著『中国禅僧祖師伝』曹洞宗宗務庁



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