人を動かす対話
- Shojin-Project
- 2019年2月6日
- 読了時間: 2分
年末年始の楽しみの一つ。テレビ。
普段、私はテレビ番組をあまり見ないのですが、こと年末年始に限っては、格闘技番組やおじさんが一人でご飯を食べ続けるドラマ、箱根駅伝など楽しみにしている番組があります。また、チャンネルを人任せで、かけ流しにしているテレビを見て、ゆったりとした時間が流れるというのもお正月らしさなのかなあ、という風に思います。
ゆるゆるとお正月の時間を過ごす中で、今年は、非常に印象的な番組に出会いました。それは「いつやるの、今でしょ!」のフレーズで有名な林修先生が、高学歴ニートに授業をするという番組です。早慶、東大などの名だたる大学を出ている彼らに、どのような話をするのか。興味津々で視聴しました。
お釈迦様の説法を、対機説法と表現することがありますが、これは仏法を説く際、相手の資質に応じて理解できるように説き聞かせることを言います。番組が始まり、先生が、取ってつけたような正論ではなく、また叱るでもなく、ニートである彼らの感情に理解を示しつつ、時に自身の経験も交えながら、受け入れやすい形で理論を展開していく様子を見ていて、まさにこの対機説法に近いものがあると驚き、感心しておりました。
そのような講義を受けた高学歴ニートたちがどう変わっていったか。特に一人の受講者の表情の変化が印象的に心に残りました。
林先生の登場時点から、彼は常に半笑いでいました。先生の話を聞きながらも、どこか人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている彼。きっと彼は、これまでニートであることに対し、周囲にあれこれと言われ続けてきたのだと思います。叱咤、激励……様々言われる中で、彼の心を本当に動かすものがなかった。その結果、あの、人を小馬鹿にしたような表情が生まれたのではないか。そんな風に感じていました。「どうせ、正論だろ」「いくら言われたって無駄さ」そんな凍てついた思いがあの表情には込められていたように思うのです。しかし、そんな彼の表情が先生の話を聞くにつけ少しずつ変化していきました。驚きや、納得の表情。最後には、「この話を聞けて良かった」「こういう話が聞きたかった」と、いうようなすっきりした笑顔に変わっていました。
番組を通じて、立場や背景など、誰かに話をする際には、まず初めに相手を理解しようとすることが大切なのだなあ、とあらためて確認することができました。たまには面白そうなテレビ番組をチェックしてみるのも良いかもしれない。そう思えたお正月の一幕でした。
久保田智照
(2019/1/12の駒沢坐禅教室より)

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