私が見たカモ
- Shojin-Project
- 2018年12月19日
- 読了時間: 2分
更新日:2019年2月6日
今日は昔の中国の禅僧のお話をします。
ある日、師匠とお弟子さんが川沿いを歩いていると、川辺から鴨が飛び立ちました。そこで師匠がお弟子さんに問いかけます。
「今のはなんだ?」
お弟子さんが答えます。
「あれは鴨です。」
するとさらに師匠は問いかけます。
「あれはどこにいった?」
お弟子さんは答えます。
「飛び去って行きました。」
すると師匠は急にお弟子さんの鼻をつねりました。
お弟子さんがあまりの痛さに思わず「痛い」と叫ぶと、老師はこう言います。
「なんだ、ここにいるじゃないか」
ここに登場するお弟子さんは百丈懐海という、のちに禅宗の生活様式を確立させた名僧です。そんな百丈さんは数いる弟子の中でも抜きん出た存在で、師匠からの期待も大きかったことでしょう。
しかし、僧侶としてもう一歩理解を深めてほしい、そう思った師匠が飛び立った鴨を指して先ほどのように問いかけたわけです。
この時、百丈さんは知識によって「鴨」と判断し、自分から見て「飛び去った」と表現しました。そうした自分の経験や知識、立場からの視点というのは、時に身勝手さや思い込みを生みそこに気持ちが引っ張られてしまうことがあります。
鼻をつねられた痛みは、今この瞬間の自分しか感じないように、今見て考えていることが自分一人の狭い視点になってそこに引っ張られていないか、
何かに行き詰まった時はそう考えてみると、景色が変わって見えるかもしれません。
西田稔光
(2018/12/13の駒沢坐禅教室より)

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