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言葉の向こう側

禅の精神はある言葉で表されることがあります。


「不立文字」


お聞きになったことがあるでしょうか?「不立」と書いて「フリュウ」、「文字」を「モンジ」と読みます。

不立とは表さない、文字とは言葉のことと言って良いでしょう。


つまりこれは、禅の教えというのは文字で表すものではない、という言葉なのです。

ところが古くから残る資料から今日書店に並ぶ解説書に至るまで、禅の教えは言葉となってたくさん残されています。一体どういうことでしょうか?


実はこれは、言葉に表すこと自体ではなく、それによってわかった気になってしまうことを戒めているのです。

私たちは言葉や文字によって多くを知り、伝え、残していきます。

ところが、その言葉があることによって、本来わかるはずのないものを分かった気になってしまうことがあります。例えば「命」であったり「幸せ」「無」「死」など、言葉を知ったことで本来は頭で理解しようのないものをわかった気になってしまう。


便利な世の中では、そんな言葉というものがもつ限界を忘れて、目に見える情報や言葉での表現にばかり気持ちが引っ張られてしまっているのではないでしょうか?

坐禅ではそうした日常を離れ、今こうして坐って見えるもの、聞こえる音、香り、肌の感覚、様々な想い。


あれこれと頭で考え、わかろうとするのをやめて、今はそれを感じるままに味わってみてはいかがでしょうか。




西田稔光

(2018/6/7の駒沢坐禅教室より)

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